アーレンディの年表(Historical Timeline of Ierendi

BC 3000炎の雨(the Great Rain of Fires)。ブラックムーア(Blackmoor)文化が消滅した。惑星の地軸は傾き、ブラックムーアの大陸は凍結し、D&Dゲーム・ワールドが氷の下から姿を現し始めた(DA1参照)。
 氷が溶ける事によって海洋の海面が数百フィート上昇した。大陸の南方の海岸線沿いの草原や低地が海面に沈んだ。
BC 2000D&Dゲーム・ワールドが青銅器時代や鉄器時代に突入。
BC 1750頃:群発する火山活動や地震により、現在のファイヴ・シャイアズ(Five Shires)やアトルアジン・クランズ(Atruaghin Clans)から大きな陸塊が分離し、マカイ(Makai)と呼ばれる原住民が取り残され、リザードマンもマルフェッギ湿地帯(Malpheggi Swamp)に取り残された。
BC 1720頃:陸塊は遥か遠くまで移動し、ファイヴ・シャイアズの南方に10個の島を作った。
BC 1000頃:ニジア人(Nithian)の船乗りがこの島々を発見し、原住民達を征服した。
BC 500頃:ニジア人の居住者達とマルフェッギ・リザードマンの文化がこの島から忽然と姿を消した。
AC 0ジアティス(Thyatis)の初代皇帝戴冠。
AC 570ファイヴ・シャイアズから見捨てられた者達による最初の入植が始まった。島には既に小さな原住民部族が生活していた。
AC 571ジアティスは見捨てられた者達が住んでいた5つの島に監獄を設立した。
AC 600マッド・クリーグ(Mad Creeg)に率いられた囚人達が反乱を起こした。原住民達と協力してマッド・クリーグは即席の軍隊を作り、ジアティス人(Thyatian)を島から追い出した。
AC 602総ての島をアーレンディ王国(Kingdom of Ierendi)が領有する事と、マッド・クリーグ自身が支配者になる事が宣言され、君主制が敷かれた。
AC 637ブラック・トゥズ(Black Toes)が父の死後、王位を引き継いだ。グラントリ(Glantri)からやって来たケシィ・マトロングル(Kerthy Matrongle)と結婚し、彼女の姓を名乗った。マトロングル家は長きに渡り島を支配した。
AC 642助言機関である諸侯会議(Council of Lords)がブラック・トゥズによって設立された。
AC 644オナー・アイランド(Honor Island)艦隊の援助と共に島の住民はジアティスの遠征軍を打ち破った。
AC 650船乗り達に戦闘技術を教えるために、最初の海軍学校が本島に設立された。
AC 681アーレンディ海軍は十分な数を揃え、十分に島を護れる様になった。
AC 691王立海軍(Royal Navy)の進歩。オナー・アイランドの魔術師達はノーム組合(Gnomish Syndicates)の最高討議会(Supreme Symposium)と秘密の交渉を行った。その目的はアーレンディ海軍の魔法兵器技術を高める事であった。
AC 713最初に開発された海軍の戦闘船とガレー船がジアティスの巡視艇と交戦し、破壊した。王立海軍はD&Dゲーム・ワールドにおける最強海軍の名声を得た。
AC 775商人達による反乱の後、諸侯会議はその権力の制限と、国王と女王が普通選挙によって選ばれる事に同意した。
AC 790市民会議(the Council of Citizens)が設立され、商人達や島に影響力を持つ外国に資産家達がその座に就いた。年に1度の選挙では祝典を開き、大騒ぎするのがしきたりとなった。
AC 867市民会議は王や女王の選出を、年1回に開かれる「冒険者による王立馬上試合(the Royal Tournament of Adventurers)」という競技大会で選出する事を発議した。オナー・アイランドの魔術師達は競技大会の計画と支援を行う事を発案した。
AC 935競技大会には諸侯会議と市民会議とアーレンディに忠誠を誓った冒険者では誰でも参加できる様になった。
AC 957トール・シーダーズ(the Tall Cedars)のハラディス(Haradith)がアーレンディ人以外で始めて執権職に就いた。彼女は後の14年のうち12年に渡り再選し、アーレンディの国家的な英雄となり、アーレンディの移民者を受け入れる開放政策のシンボルとなった。
AC 977-984アーレンディの都市の周りに防波堤が築かれた。
AC 980総ての宮廷問題への公式の助言会議としてアーレンディ法廷(the Ierendi Tribunal)が設立された(以前の諸侯会議である)。会議は選挙で選ばれた者と王や女王によって指名された者から構成されていた。