1−4 第3次中東戦争

1−4−1 戦争準備

 第3時中東戦争は1967年に6日間戦われた。第2次中東戦争から約10年の間、中東では何が起こっていたのか、概要を述べてみよう。

 第2次中東戦争の政治的な勝者となったエジプトのナセルは、第3世界の新たなリーダーとなった。彼は中東諸国のナショナリズムの流れに乗り、シリアとの合同国家「統一アラブ共和国(UAR)」設立を宣言した。シリアは1949年にフランスから独立したばかりであった。エジプトはイギリス及びスエズ運河の支配権を握っていたフランスから運河の国有化を勝ち取っていた。その両国が経済発展を続けてゆくために協力を仰いだのは、英仏やそれに連なるアメリカではなく、東の超大国ソ連であった。
 UARはしかしながら長続きしなかった。わずか3年後にはシリアでクーデターが起こり、連合は解消されてしまったのだ。解消の理由は幾つか上げることができるが、それはエジプトとシリアの対等な合併ではなく、シリアがエジプトに取り込まれたと思われたこと、またシリアの実業家たちがナセルの社会主義的政策に危機感をもったことなどが解消の原因であった。

 ナセルの威信を低下させる外患がもうひとつあった。イエメンの内戦であった。イエメンはUARに加わり、UARは「アラブ連合(UAS)」となったものの、61年には連合からの脱退を表明してしまったのだ。さらに翌62年9月には反王制のクーデターが起こった。新政府に肩入れしたナセルは王党派掃討作戦のために軍隊を派遣したが、サウジアラビアに援助された王党派の抵抗が激しく、イエメンに出兵していたエジプト軍は長期にわたる戦闘により次第に疲弊していった。その影響は本国の経済状況にも現れ、次第にナセルの権威は衰えていった。

 アラブ諸国が合同と分散を繰り返す中で、イスラエルは自国の軍隊を変革していった。それまでの歩兵を中心とした用兵から、戦車の運用を中心とした戦術へと変更したのだ。これは第2次中東戦争の戦訓と、参加した将兵の賛同の元で進められていった。新たな戦争を戦うための運用面における準備は着々とすすめられていったのだった。

 一方ハード面、特に衝撃力の中心となる戦車についての状況はどうだったのだろう。第2次中東戦争における戦車の性能は、乗員の高い練度及び優秀な75ミリ砲によってイスラエル側が優位に立っていることが証明された。ところがアラブ諸国に対してソ連から新たな戦車が供給され始めると、その自信も揺らぐこととなった。T−54及びT−55(T−54の改良型)は、戦後型戦車の第1世代として非常に画期的な性能を有していた。厚さ100ミリの傾斜装甲を持ち、避弾径始(砲弾を垂直に受けるのではなく、装甲を斜めにすることで見かけの装甲厚を増しなおかつ弾きやすくすること)に優れた卵型の砲塔に搭載された100ミリ砲は、イスラエル軍のシャーマン戦車をその射程外から撃破することができた。

 対するイスラエルはシャーマン戦車を引き続き改良すると共に(フランス製105ミリ砲搭載の通称"Iシャーマン")、イギリスからセンチュリオンを取得することができた。しかしながらこの戦車は目の細かいラジエーターに砂が詰まってオーバーヒートを起こすなど、機械的な故障が多く信頼性に欠けていた。戦車兵の不評を買ったセンチュリオンであったが、機甲部隊司令官としてイスラエル・タル少将が就任すると状況は変わっていった。彼はセンチュリオン戦車の構造を調査し、対策を研究した。そうして砂漠仕様への改良と、センチュリオンの特性に合った戦術を編み出して部隊に訓練させた。やがて戦車兵達はこの"気紛れ屋"センチュリオンと、古参のIシャーマンを駆って、砂漠での戦闘に備えることとなった。

1−4−3 ナセルとアラファトの思惑

 イスラエルにより土地を追われたパレスチナ難民達は今だ難民のままであった。彼らをイスラエルに対する対抗勢力として保持したい周辺諸国は正式な市民権も国籍も与なかった。また故郷への帰還も2度にわたるアラブ諸国の敗退により実現が遠のいたように思われた。このような現実を見たパレスチナ人たちの間に、アラブ諸国による祖国奪回が無理であれば自分たちの手で祖国を取り戻そうという運動が広がっていった。そのような中、ナセルはパレスチナ人を支援して1964年1月、「パレスチナ解放機構(PLO)」を結成させた。この組織はパレスチナ運動へのガス抜きの役割を担うと共に、これまでの運動していた各ゲリラ組織を統合しナセルの統制下に置くことを目的としていた。

 PLOが結成されてもそれに従わない組織があった。アラファト率いるファハタである。ファハタはアラファトが事業により蓄えた資金を元に作った組織で、イスラエルにおいて過激な活動をしていた。テロ活動によりイスラエルを挑発して大規模な報復行動を引き起こせば、アラブ諸国は嫌でも対イスラエルの全面戦争に参加せざる得なくなるだろうと考えたのだ。

 ナセルはファハタによるゲリラ活動に目を光らせていたが、その慎重な姿勢はやがてアラブ諸国からの批判の的となった。そうしてついに67年5月22日、ナセルは再びチラン海峡封鎖を宣言した。ヨルダン、シリア、イラク、クウェート、スーダン、アルジェリアなども戦争準備を始めていた。

 このような状況に鑑み、戦争は不可避と思われたのでイスラエルは先制攻撃を選択した。

1−4−4 第3時中東戦争(6日間戦争)

 1967年6月5日、戦争はイスラエル空軍(IAF)の奇襲攻撃によって始まった。パイロットクルーを一機に複数用意することで稼働時間を上げて反復攻撃(延べ500機)を行い、5日だけでアラブ諸国の航空機452機を破壊し(空戦による撃墜79機を含む)、IAF側の損害は46機の損失であった。制空権は完全にイスラエルのものとなり、IAFは近接航空支援(CAS)及び航空阻止(AD)のみに専念できるようになった。

 エジプト方面のイスラエル国防軍(IDF)は3個機甲師団を中核として三つのルートを通りシナイ半島へ前進した。最北部にはイスラエル・タル准将が1個機甲師団(現役の2個機甲旅団と1個空挺旅団、105ミリ砲搭載M48パットン18両を有する師団直属の偵察部隊)を率いて地中海沿岸を。中央は2個機甲旅団(予備役)がウムカテフからギディ峠へ。その南からはアリエル・シャロン准将率いるメンドラー機甲旅団がミトラ峠方向へ進撃、南翼からの敵の反撃を撃退した。これらの進撃は途中、エジプト軍の強固な陣地軍と砲兵による抵抗にあったものの、IDFはCASや夜間攻撃の多用によって次々と拠点を落としていった。

 第2次中東戦争でも激戦となったアブアゲイラは、陣地をいくつも重ねたソ連式複廓陣地が構成されており、地雷原と対戦車陣地が造られていたので翼側からの攻撃も困難であった。アブアゲイラ攻略を目指すシャロン師団長は戦車大隊を迂回させ、師団主力による夜間中央突破を行った。空挺投下まで投入した作戦は成功し、アブアゲイラは陥落した。エジプト軍はIDFの進撃スピードに対応出来ず壊走状態となり、6〜700両のソ連製戦車がイスラエルにより撃破または捕獲された。IDF先鋒は6月7日にスエズ運河東岸へ到達、シナイ半島は再びイスラエル支配地となった。

 シナイ方面での戦闘が続いている頃、ヨルダンが参戦しエルサレムのイスラエル側に攻撃を開始した。対するイスラエルの目標は、第1次中東戦争で失ったエルサレム旧市街であった。IDFは5月5日夜にラトルンを陥落させ、ヨルダン軍第27歩兵旅団の守備する旧市街へ、6日午前10時に攻撃発起した。第66空挺大隊を先頭にしたIDFはさしたる抵抗にも合わず旧市街を奪還、ユダヤ教徒にとって最も神聖な場所である西の壁(通称"嘆きの壁")の前に集まった兵士たちは声を上げて泣き出した。

 北方のゴラン高原にはシリアの8個歩兵旅団、戦車750両及び砲265門が展開していた。対するIDFは3個旅団ながらも攻撃を開始、熾烈な戦車戦のすえにゴラン高原を手にした。この戦闘では中隊長ですら座乗のシャーマン戦車を失い、シリア軍はドイツ4号戦車(第2次大戦時代の戦車)を塹壕に入れて対戦車戦闘を行うほどであった。一方砲兵戦力の薄いIDFは、IAFによる支援(CAS及びヘリボーン作戦)を受けることで敵機甲戦力の壊滅を果たした。

1−4−5 停戦合意

 6月8日、エジプトとヨルダンは国連の停戦決議受け入れを発表した。しかしシリアは戦闘を継続し、停戦決議を諾を宣言したのは10日午前5時であった。この第3次中東戦争(イスラエルからは「六日間戦争」、アラブ側は「六月戦争」と呼ぶ)のでは、イスラエル側730人、エジプト・シリア・ヨルダン合わせて15000人の戦死者を出した。エジプト軍が捕獲された戦車と火砲は300両と450門であった。

 シナイ半島、ヨルダン川西岸、ゴラン高原を得たイスラエルは、国防上の戦略的縦深を獲得した。一方のアラブ側は軍事的に敗北し、イスラエルを多正面同時戦争に巻き込もうとしたアラファトの目的は達成されたものの、イスラエルの軍事力の前にもうひとつの目的であるパレスチナの奪回、若しくはイスラエルという国家の消滅は果たすことができなかったのだった。

参考文献『中東戦争全史』   山崎雅弘  学習研究社      2001年
    『イスラエル機甲軍』 天下御免丸 同人誌        1999年
    『航空ファン2000年4月(特集:イスラエル空軍史)』 2000年
『Panzer2000年7月号(特集:センチュリオン戦車)』 2000年
参考HP
田中宇の国際ニュース解説(政治評論家) http://tanakanews.com/index.html
     天下御免丸(参考文献の発行所) http://www5a.biglobe.ne.jp/~gomenmar/index.html

1−5 第4次中東戦争 に続く

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